kindle, 手ぶら, iPhone, 禁酒,ウォーキング,禁煙,断酒,ダイエット,断酒,ノンアルコール,Evernote,ライフハック,読書.音声入力

徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

矢を横から見てると間違える

今日も一日、全くやる気がありません。やらなきゃなんないこともそれなりには、あるのですけど、先送りにばかり、ない頭を使ってしまいます。このやる気のなさは、尋常ではありません。なぜなのでしょうか? おそらくは、夏のせいだとは思うのですが、多分それだけではありません。

長引く未確定の状態のせいです。コロナによるものなのか、もっと個人的な原因によるものなのか、おそらくはそのどちらでもあるのだろうとは思うのですけど、もはや区別がつきません。肝心なことは何も前に進まないのに、来年度の計画は立てなきゃとか、予算は減らさなきゃとか、戦略も見直しだとか、そもそも、この先のゴーイング・コンサーンなんて、本当にまだあるのでしょうか。

NHKニュースとかみてると、激しいめまい、立ちくらみがしてきます。これから先、デジタルトランスフォーメーションだとか、アナログの権化であるNHKが言ってて、笑えます。そんなこと言うなら、まず受信料という20世紀の仕組みからデジタルトランスフォーメーションするべきですよね?

私が思うのは、実は継続の前提がない、ということです。コロナが蔓延する前から、すでに多くの仕組みが立ち行かなくなっていたのではないかなと思っています。ひとりひとりの個人が、ヒエラルキーの圧に耐えながら汲々と生きていたこの30年間の崩壊こそが、私のやる気のなさの根っこなのだろうなと思います。

崩壊とは、時間差もあればムラもありますので、なかなか実感することはできません。世界的な金融システムが壊れたのが、2008年の世界的な景気後退だったのですけど、日本ではなぜかあれは、「リーマン・ショック」と名付けられて、壮大な対岸の火事として処理されました。

でもあれ、実はリーマン・ショックなんかではなくて、第2次世界大戦後の経済システムが終わったことだと思うのですが、崩壊、つまり終わったんだよということは、なかなかちゃんと、飲み込めません。ありとあらゆる終わりには、時間差とムラがあります。終わっているのに、まだまだ終わってないと信じ込んで、ゲームを続けてきたのが、この10年間だったのではないかと思います。

さらに言えば、日本名リーマン・ショック以降の10年間そのものが、太陽などの恒星が終わり間際に膨れ上がるような、壮大な焼け太りだったのではないかと思います。コロナが米国を襲うはるか前に、今年の1月には大量の社長が米国の会社を辞めています。コロナのありなしに関係なく、ゴーイング・コンサーンはもうなかったのではないか、と思います。

すでに負けが確定している試合で、やる気もくそもないわけで、そのことへの諦観が、あーかったるいなー、リモート会議なんてやりたくないわなー、リモート面談もかったるいなあ、となるわけです。戦略なんて、もはや修正の段階ではなくて、ゼロリセットしないとなんともなりません。

だましだましなんとかやっても、崩壊の時間差が最後にはなくなったり、ムラのあった崩壊が、最後は広く遍く崩壊が均されてしまえば、やがて詰んでしまいます。やる気がない、というシグナルに素直に沿って、もはや延命に加担しない、という選択肢がとても魅力的に思えて来ます。

長い終わりの始まりは、過程なのか、はたまた終わりなのかは、矢印の矢じりの部分と、棒の部分の違いでしかなくて、鏃は先に的中して、棒の部分は少しだけあと、的を貫通していきます。結局は、矢というのは、横から見るものではなくて、的側から見るものなのです。鏃も棒も、的側から見れば、やがて貫くひとつの点でしかありません。

ブログと同じ内容を、Youtubeでも。徒手空拳日記チャンネル - YouTube