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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

今は昔のことが多過ぎる(5月31日日曜日、晴れ)

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週刊文春にも、Youtubeチャンネルがあるということは、週刊文春とは、もはや週刊誌というメディアじゃなくて、いわば文春砲というコンテンツなんだと思いますが、強いコンテンツは、メディアを選びません。文春砲というコンテンツを、様々なメディアが追いかけて報道するのは、ジブリ作品が、日本以外のNetflixでも、HBOでも観られるのと実はそんなに変わりません。だから、いまから遅れてプラットフォーマーになっても仕方なくて、これからなるべきは、優良なコンテンツだと思います。

その文春Youtubeチャンネルで、幻冬舎編集者のセクハラ問題について、見てみましたが、渦中の編集者が、自分のオンラインサロン会員向けに、話した動画が、全部ダダ漏れになっていて、面白かったです。オンラインサロンなんぞ、お金さえ払えばいくらでも会員になれますので、記者なら当然、サロン会員になって、スパイ活動をしています。動画の彼は、明らかにろれつが回っておらず、酒に酔って勢いづいているそのまんまが、コピペされてあっという間に日本国民に速達されてしまう、その速さと残酷さに舌を巻きます。アルコール入りの名演説は、思い返せば人類史にひとつも残っておらず、酒を飲んで悦に入り、話したことは、すべておバカなことにしか聞こえないという法則は、やはりいまも変わってないなと思います。

私に言わせれば、時代の先端にいるがゆえに、無頼な出版業界というイメージそのものがもう、フルマックスでオワコンになっており、その凋落に沿って、いつの間にかごちゃごちゃ言われなくなったことが増えてきました。

例えば、少し前まで、ブログですらWikipediaから引用すると、あんなものは正確ではないと、怒られたのですが、最近ではそういったご意見はほぼなくなりました。私の場合、このブログに書いている内容は、単なる私の感想でしかないので、そもそも引用すらあんまりしません。世の中に溢れ出ているテキストは、すでに出版業界の校正係が総出で24時間365日対応しても、処理しきれません。正しいことを世に送り出すという、出版業界の社会的使命そのものが、えっ何言ってんの? と思われてしまう、お門違いになってきました。

それから、つい最近まで紙の本を裁断したり、スキャンしたりしてデジタル化する、いわゆる自炊行為についても、いつの間にか、ごちゃごちゃ小うるさいことを言われなくなりました。紙の本を破壊して裁断するなんて、出版文化への冒涜だなぞと、激ギレする業界人もたくさんいましたけど、最近はすっかりいなくなりました。裁断した紙の本を、メルカリで売るツワモノさえいますが、裁断してしまうと買い手がほとんどつきません。私のように、破壊しないやり方で写メ自炊して、美本のまんま売り抜けてしまうのが、一番破壊的だと思います。

それから新聞を読まなくても、いつの間にか別に軽蔑されなくなりました。今朝の新聞記事の話をすることそのものが、社会人のルーティンではなくなってしまいました。新聞記事クリッピングもしなくなりました。ニュースはメディアではなく、コンテンツとして大量に入ってくるようになり、日本の新聞は、ただの古いメディアでしかなく、ニュースコンテンツは、トランプ大統領のようにニュースソース本人が自ら発信する一次情報ばかりとなりました。新聞のオンライン記事は、最近ほとんどが一番おいしいところが有料なので、Twitterで新聞記事が流れてきても、URLはクリックしなくなりました。

紙媒体が要らなくなって、会社員がまた鞄を持たなくなりつつあります。私が会社員になった頃はまだ、ほとんどの人が手ぶらか、社の封筒を片手に出社するのが一般的でした。Youtubeで日本の昔のサラリーマンの出勤風景なんかを見ると、バブル期までは、少なくとも男性の多くは手ぶらです。日本のサラリーマンなんて、午前中はほとんど茶飲み話しかしておらず、午後から外回りでサボり、夜は飲み歩いて午前様の繰り返しでした。あの頃は携帯もポケベルもなかったので、監視もできませんし、頑張っても頑張らなくても、会社が傾くことはあまりありませんでした。

会社員が鞄を持ち始めたのは1990年代後半で、それはリストラのはじまりと重なります。私もまだ社会人をしていた若い頃、先輩たちに、サボるときほど鞄を持って出かけろと教わりました。社会人にとっての鞄は、仕事しているフリを強める仕事ごっこのマストアイテムでした。そのうちパソコンを持ち歩くことが当たり前となって、更にビジネス鞄が定着して、震災後は更に背中に背負うタイプにまであっという間に巨大化してしまいました。

私に言わせれば、パソコンなんて、プログラムを書くとか、動画を編集するとか、データアナリティクスとか、専門的な作業以外は、コロナの前からすでに要りません。ですから、コロナ後にラップトップパソコンがバカ売れするのは、本当に無駄だと思います。サラリーマンが普通にやる仕事なら、パソコンはオフィスに置いておけば充分です。

コロナで手ぶらが加速して、バブル前のサラリーマンに逆戻り、フォワード・トゥー・ザ・パストです。スタバでパソコン開く人なんて、まだいるのでしょうか。ちょっとその常識とやらは、古くなってきているのではないかと思います。

TUMIのやたら分厚い鞄を持つことが常識だったのも今は昔、あらゆる常識とやらは、単なる捏造なのだと気づいてしまいました。社会人として、当たり前のことと言われていたたくさんの常識のなかで、真っ先に消えたのは、同僚家族の葬儀に参列することです。その時点で会社は家族ではなくなりました。これから団塊世代が多くなくなることを見通して、あちこちにセレモニーホールという名の葬儀場だらけとなりましたが、コロナで葬儀そのものが行われなかったり、更にこじんまりしてしまったり、葬儀ビジネスへの投資回収も、一気に不確実となりました。

家族として、夫として、妻として、子どもとしてといった常識も、多くがもはやどうでもよくなりつつある気がします。特に朱子学カルトのサブシステムとしての家族の常識は、コロナで大きく揺らぎました。みんなバラバラに、当たり前だと信じていた役割を演じてきたけど、コロナでそのキャスティングの前提そのものが停止して、台本もコンテンツも、なくなってしまいました。

この家族という常識も、アメリカの核家族を輸入したものだったりしますし、私達を今まで押さえつけてきた、欧米の一部としての日本という常識も、一気に嘘くさくなりました。例えば三権分立とか、法の下の平等とか、基本的人権とかも、単なるハリボテなのかもなと、バレ始めています。資本主義の仮面を被った、社会主義という意味では、日本は実は中華人民共和国に近いかもしれません。日本は法治国家だとか、日本の教育水準は高いとか、日本の保険制度は手厚いとかも、フェイクなのかもと思うことが増えました。常識だろうと信じて寄りかかっていたはしごが外されて、自分の正気でその都度判断するしかないことも増えてきました。今は昔の、過去問題集をいくらやっても、人生うまく行かないなあと、思うことばかりです。

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