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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

3月27日金曜日、晴れ

アメリカの主なマスメディアは、トランプ大統領の演説を、生放送では中継しないことを決めたようです。生放送だと、トランプ大統領の言いたい放題となって、選挙のキャンペーンに利用されてしまうことを懸念した動きだと思われます。

日本でも、すっかり今井たかやチャンネルと化したNHKは、権力者の単なるパワーアンプ、スピーカーと化しており、見れば見るほど有害です。間違いなく言えることは、テレビだけ見ていると、しょうもない新自由主義者の権力構造によって、今が平時なのか、有事なのかすら、完全にコントロールされてしまうということです。地上波テレビは、一切見ないことが最大の防御となります。アルコールを一滴も飲まないのと、同じことです。どんな毒でも、少しでも毒を体内に取り入れれば、大きなダメージとなります。

思い返せば、東日本大震災の頃は、いわば希望のバブルという状態にありました。色々なタレント、文化人、ちんどん屋から、薄っぺらい、絆とか、希望という言葉がほきだされ、フェイクの希望が蔓延していました。

例えば、公共広告で、SMAPが出てきて、日本は強い国だの、みんなで乗り越えられるだの、薄っぺらい希望が、散々繰り返し語られました。CMの背景に流れていた、ウォウウォウウォウ、ウォウウォウウォウというコーラスこそ、東京オリンピックの誘致から、コロナで中止まで続く、壮大なるフェイク希望の通奏低音となりました。

それから学者の皆さんが、希望の学問、希望学などという、牽強付会な学問を立ち上げていたことを思い出します。これは、2005年に東京大学の社会科学研究所に誕生した、新しい学問のようですが、日本では、将来に希望がないとか、希望が持てないという人が増えつつあるのではないかという思いからスタートした動きのようです。

しかしながら、東日本大震災と原発事故がほとんど解決しないまま、希望学そのものが、世間から忘れ去られているように、私には思えます。もはや、人々が軽々しく、希望という言葉を口にすることすら、はばかられるような厳しい社会へと変わってきているのではないでしょうか。

作家やジャーナリストによる、希望という言葉も、ほとんど語られなくなりました。東日本大震災の時には、村上龍が、ニューヨークタイムスに、危機的状況の中の希望、という文章を発表していました。ググれば今でも日本語で読むことができますが、いま読むとものすごく楽観的です。その文章では、まだ日本には希望があると確信されていました。引用します。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。

東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。

大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。

だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。

だから私は信じていく。( 以上引用終わり)

2017年に小池百合子が立ち上げて、ジャーナリストの横田一さんによって秒殺された、希望の党のネーミングの由来は、おそらく村上龍の、希望の国のエクソダスという小説からのパクリだと思われますが、その小池百合子が都知事となって、新型コロナウイルスを、自らのショック・ドクトリンに活用して、都民から安心や自由を傲慢に奪い取っている現状は、歴史の皮肉というか、もはや悲劇ではないかと思います。本物の悲劇は、どこか喜劇に似ているものです。

 

今回のウイルスに対する、この国の政財官学マスメディアの、驚くべき冷酷さは、もはや悲劇を通り越して喜劇的であり、大恐慌によって苦境に立たされる人々に対する支援政策に、自民党の族議員たちがねじ込もうとしている、お肉の商品券やお魚の商品券などは、まさに本物の悲劇のなかに立ち現れる、喜劇だと思います。

 

東日本大震災の時には雄弁に語られていた希望が、一転してサイレントとなり、皆押し黙っているのが、本物の悲劇を物語っているように、私は思います。


いま思えば、東日本大震災は、まだフェイクの希望を雄弁に謳い上げられる程度の、部分的な、一次的な災害だったのかもしれません。今回のウイルス災害は、津波よりも一層、広くあまねく、確率論として、ランダムに生命を、理不尽に終わらせてしまう疫病です。特に老人ほど命を落とす確率が高く設定されている、いわば死のガチャです。イギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドンの感染症の専門家チームは、各国が外出制限などの強力な対策を、早い段階で実行しなければ、今年だけで4000万人が死亡するという分析結果を公表しています。


雄弁に語られる希望などより、沈黙してしまうぐらいの絶望が、実は本物の希望に近いのではないかと、私は思います。スペインで興味深い事件が起きています。新型コロナウイルスに感染した高齢の患者を乗せた救急車の車列に、若者の集団が、石を投げつけるなどして走行を妨げようとする事件があったとのこと、石を投げつけながら、若者たちは侮辱的な言葉を叫んで逮捕されました。

 

私はこのスペインでの若者による投石事件にこそ、新型コロナウイルスに対する、日本の政財官学マスメディアによる、沈黙の本当の理由が、隠されている気がします。これはつまり、世代交代にとどまらない、革命的な本当の破壊が起きようとしているのです。だから誰も、薄っぺらい希望を口にすらできず、頬被り、だんまりを決め込んでいるのです。この沈黙の重さこそが、本物の希望なのです。


スペインの若者も、高い失業率の中で、この世界に絶望していると思います。ウイルスは、このクソな世界を終わらせて、多くの老人が命を落とし、それぞれの日常を、ゼロスタートさせるきっかけとなるのだろうと思います。この事実は、あまりにも厳粛であり、軽々に口にするにはシャレにならないので、薄っぺらい希望が口から出てこないのではないかと私は思っています。

 

誤解を恐れずにいえば、疫病は戦争よりも希望に近いです。戦争では若者が率先して死んでいきますが、疫病は、その逆に老人から死んでいきます。富の再分配が起きたり、経済が世界同時に止まりますので、新自由主義的なシステムの行き詰まりが目に見えてきたり、第3次世界大戦に近いグレートリセットを巻き起こしつつあるのだろうと思います。これまで虐げられてきた人々が、クソなシステムから放免され、フリーハンドでやり直していく、その大きなきっかけになるだろうと思います。


希望や絆を、小池百合子やマスメディアがいっさい口にしない、そのことこそが、本物の希望の到来を物語っているのです。

*Googleの音声読み上げ技術によるYouTube「徒手空拳日記チャンネル」はじめました。

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