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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

10月13日日曜日、晴れ

一昨日、近所のスーパーに行ったら、カップ麺の棚がすっからかんでビビッたのだけど、カップ麺食べる為には基本的にお湯が必要なので、停電後の非常食なら羊羹とかバナナとかチョコレートとか、常温で調理不要のものの方がはやくて便利だと思うのだけど、なんでカップ麺が人気なのかよくわからない。カップ麺より鶏ガラスープでタンメン作ったほうが安くてうまい。私は誰も奪い合うことない、誰も手を付けない柿や羊羹を買ってのうのうと台風を一歩も外出せず室内でやり過ごした。

料理っぽいものじゃないと食事にならないっていう先入観が強いのかなと思うんだけど、多分、売り場でみんなが競って買うのを見て、焦って自分も買わなきゃって思うんだろう。こういう備蓄品の「取り付け騒ぎ」みたいなことって、本当に少し前までは、311クラスの大規模災害でしか起こらなかった気がする。計画運行もなかったし、備品の買い占めもなかった。

インターネットやソーシャル・メディアが浸透するにつれて、それまで機能していた人間関係や社会の秩序がすっかり廃れてしまい、「信用の縮減」が起きている。他人はもちろん、自分自身の思考や定見をも信用できなくなっており、不特定多数が群がる養生テープやカップ麺に動物的に飛びついてしまう。これは進歩ではなく、明らかに劣化ではないか。

この10年で起きていることは、人間関係の破壊、ヒエラルキーの常識の終わり、個人の不安定化で、誰も彼もが付和雷同して、惑うようになってしまった。「社会はこうあるべきだ」とか「組織はこういうものだ」とか、「人と人はこうあるべきだ」とか、「自分の信念はこうだ」などという、定まったものの見方が完全にぶっ壊れている。

今日の『ザ・ノンフィクション』は、シェアハウスに暮らす若者を追いかけたシリーズの続編で、社会や組織や人間関係や個人の理想像が揺らぐ現代に、どうやって人々がサバイブするかについて考えさせられる。

大きな人間関係、大きな組織、大きな共同体が壊死しているので、小さな人間関係、小さなチーム、小さな仲間で生きていくしかない。古くて大きな人間関係(朱子学カルト)に依存していると、ロクなことがない。

社会という「信用縮減する荒野」を、小さくて弱いつながりのしょぼい人間関係で生きていくしかなく、バブル世代以上のおっさん・おばさんの記憶遺産なぞ、知ったことではない。

具体的には、「しょぼいキャピタル」で生きていくのだ。第一の人生がそもそもないので、第二の人生なんて当然ない。今日しかない。「しょぼいキャピタル」とは、「身軽・気軽・胃軽」の3つの軽みによって生きることである。

持ち家なんて負債を持っていればこそ、台風で吹き飛ばされないように養生テープを鬼買い占めしてしまったりするわけで、家とかクルマなんて持たなければ、台風で窓ガラスが割れたとしても、直すのは大家だし、とにかく身軽でいることは素晴らしい。

大きな人間関係をガン無視して、身の周りの人間関係だけに気を配って、とにかく気軽でいられれば、立身出世競争にも巻き込まれず、のうのうと生きられる。クビになるまで固定給を貰い続けて、こころの中では自営業。面と向かって言われたことは全録して、それ以外はないことと完全に同じ。

精糖は、とうもろこしから化け学で精製されたもので世界最安の麻薬、コンビニのフライヤーの精油も麻薬、なんと言っても酒精(アルコール)を飲まなければ読書三昧なので、徹底して「胃軽」でいることが肝要である。

身軽、気軽、胃軽の「3軽」であれば、なんとでもなる。第一の人生も第二の人生もない、しょぼいいまここがあるだけ、それが生きることではないか。

半世紀生きた、もう働きたくない。 (ピロヤン)

ピロヤン50歳無職の日常 - YouTube