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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

8月20日火曜日、曇り

第4回ボランティア検討委員会 開催 | 東京2020オリンピック・パラリンピックボランティア | ボラサポ

東京五輪ボランティア、マラソンなど早朝開催競技の場合、始発では現場入りが間に合わない。だからボランティアには、終電で現場に集まってもらい、宿泊場所も当然なく、朝まで「ボランティア同士の交流機会や、士気を高めるような取り組みを検討していく」とのこと。

これは学徒ならぬ、「情弱動員」である。こういったことが、今更大真面目に議論されている時点で、重篤朱子学カルト。

こうした具体的狂気に遭遇すると、日本とはもはや巨大なる「凡庸な悪」を構成する陳腐なパーツの集合体なんだなと思う。

親、教師、上司、小役人、上級国民どれもこれも、朱子学カルトという「凡庸な悪」を成立させるしょうもない細胞に過ぎないのだ。でも私たちは、その「凡庸な悪」の本質を、なかなか正視して、悪であることを自覚できない。リアルタイムで眼の前にいる親、教師、上司、小役人、上級国民などは、その実、真の正義であって、こちらが一方的に、邪で未熟なのではないかと不安になりがち。ボランティアとは、ご立派なお立場ご身分の大人どもが声高に言う通り、自己責任、無償、滅私の精神で、言われるがまんま動員されるのが、この国の社会人として正しいのかな? と思い込まされてしまう。そんな訳ないのに。

第二次世界対戦のナチスという存在は、米英仏らにとって、悪なのか善なのか、しばらくどうもわからなかった。ソ連がすでに東部に存在しており、共産主義と戦っている(と見えていた)ナチスを、彼らが即座に敵視することは、難しかった。

資本主義の権力者にとっては、ナチスよりも共産主義の方が圧倒的に警戒すべきであり、ナチス国家全体主義は、必ずしも彼らを脅かす存在とは思えないのだった。「敵の敵は味方」バイアスである。いまとなっては20世紀最悪とされるナチスすら、当初は、悪であると誰も見抜けなかった。

朱子学カルトの日本人は、現在も言語感覚が完全におかしいので、United Nationsのことを「国際連合」と訳すけど、こんなヘンチクリンな訳語は、日本でしか通用しない。

UNとはつまり、日独伊のことを、共産主義よりも絶対悪とみなして、戦争に勝利した「連合国」のことであり、UNは当然のことながら、「連合国」と表記されるべきなのに、現代の政財官学全て、国際連合というわけのわからない名詞を捏造して、定着させている。「連合国」とは、ファシズムを悪として戦い勝利した国家連合であり、日本はこの枠組みからは永久に蚊帳の外だ。韓国問題も、この構造を度外している日本だけが「お花畑」なのだ。

私がここで言いたい重要なことは、敵を敵、悪を悪だと早期に認識するチカラのことであり、国家であろうと個人であろうと、そのチカラの重要さは変わらない。

ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)を読むと、ホストに放蕩して二人の子どもを自室ワンルームに監禁して餓死させた事件の経緯や原因が詳細に取材されているけれど、結局のところ、ホスト遊びに狂って、食事さえ与えなくなったこの女を母親に持った子どもは、彼らの殺害時の年齢(長女3歳、長男2歳)からすれば、自分の親を悪だと判定出来ぬまま、縁を切ることも、逃げることもできなかった。

この2010年の事件以降も、虐待による子どもの殺人はあとを絶たないわけで、朱子学カルト日本人の多くは大なり小なり、子どもの存在を根底から脅かす悪の存在である。

私のように、頭の悪いクソな毒親のもとで育ち、たまたま運良く死なずに生きながらえることができたなら、出来るだけ早期に、親、教師、上司、小役人、上級国民といった周囲の人間の本質を、敵視すべき悪だと認識できるかどうかが、極めて重要なのである。

一般に「不良になる」「グレる」と呼ばれる状態は、実は「凡庸な悪」の存在に気づいた結果としての抵抗運動であり、実に正しい。大人の悪に怒りを剥き出しにするのは、当然のことである。怒りとは、闘争か逃走かの前段階であり、闘争を選べば「不良」とされ、逃走を選べば「ひきこもり」とされる。そう勝手に呼んでいるのは、朱子学カルトの悪の側である。

「不良」にも「ひきこもり」にもなれなかった、その他大勢の抑圧され放題の子どもたちは、抑圧の犠牲者となるか、朱子学カルトの走狗となるかの道しか残されていない。彼らは悪の敵を敵視するチカラそのものを弱められて、家畜人間として管理、養殖され続ける。

そしてこの「凡庸な悪」に取り込まれた大量の肉袋ボットたちこそが、立身出世を餌に、とてつもない悪事や不正を組織的にやってのけるのである。彼らは心根のどこかで、隷属性、卑屈さ、不自由に気づいているから、自分で自分を騙そうとする。自己欺瞞、集団幻想、自分たちをいかにも「正」と信じ込ませる統治の手段が、家庭のしつけであり、義務教育であり、高等教育であり、社会人であり、アルコールであり、テレビである。

親に殺されずなんとか生き延びたら、できるだけはやく、抵抗運動を始めなければならない。社会やシステムに適応しているフリをしながら、ベトコンの如きゲリラ戦を展開して、生き延びよう。

例えば「凡庸な悪」に加担しているあらゆる人々にとって、実際何の役にも立たないアナーキーな人間になる。これなら仲間も要らない。

「サボる」というのは、日本では10やるべき仕事を7しかやらないみたいなニュアンスだけど、これは全然違う。サボタージュとは本来、敵の10やるべき仕事を0にすることであり、あわよくば、決定的にマイナスとなるような痛打を敵に与えることである。

巨大化、複雑化しつつある「凡庸な悪」のシステムは実は脆弱であるから、構成員の1割が、宣告も予告もせずサボり始めると、「凡庸な悪」の全体システムに甚大なダメージを与えることができる。

日本では未だに1960年代生まれの新人類世代が何の実績もないのに人の上に立って、偉そうにしているけど、奴らの言うことを右から左へ完スルーしながら、外からは見分けがつかない「不良」または「ひきこもり」になればいい。

あるときは逃走、あるときは闘争、そのどちらに際しても、予告も宣告も要らない。朱子学カルトの硬直化した統治システムをハックすることができれば、彼らは相当にビビるし、非言語的反乱、サボタージュ運動には、彼らは言語で対抗できないので、何も手が打てないまま呆然と立ち尽くすだろう。