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徒手空拳日記

人の行く裏に道あり花の山

8月13日火曜日、曇り時々晴れ

米軍の走狗がいっせいにお休みになる週、それが日本のお盆休み。お盆休み中のNHKニュースとかはキモい、いまどきこの時期帰省していたり、一番高いシーズン料金払って海外旅行行ってる奴らなんて、上級国民だけ。ブラタモリへの抜擢がその出世コースみたいなNHK女子アナの謎のスター・システムとかも、ほんとキモい。核廃絶よりも朱子学カルト廃絶を先に希求する夏のクラクション、青いスタシオン。

都営地下鉄・夏のホリデーパスでのうのうと偽装社会人の偽装営業。都営交通「夏のホリデーパス」は、500円で都営地下鉄のみ乗り放題、普段は行楽期の土日祝日限定なのだが、犬休みの盆暮れ期間は平日も使用可能。

PASMOに電子記録される方式なのでとても便利、都営交通は、五輪開催前には、「都営まるごと」も現在のクソな磁気カードではなく、ICカードに変えるべき。こんなもん決めればすぐできるわけで、単なる怠慢としか思えない。

私は、長い間この国で問題ありとされてきた者たちのひとりで、無学で頭の悪い親や生真面目な教師、教養の欠如した上司に抑圧され続け、長らく施しを求めてきた労働者階級の貧者であり、文化的にも蔑まれて生きてきた。私は右翼でも左翼でもなく、ただの現代ネアンデルタール人であり、もともと希望なぞもなく、当然のことながら目標もなく、そのうち野垂れ死ぬのが商売、つまりは、反社会人的毒虫なのだ。

反社会人的毒虫として生きるとはどういうことか、ここのところ7時間8時間とよく眠りながらも、しんけんに考え続けている。

日本語の「社会人」はうまく外国語に訳せない。なぜなら「社会人」の本質が、土着封建制だからである。社会人とは現代においては会社人と同意で、反社会人として生きるとは、つまり、反会社人としてただ生きることである。

私の言う朱子学カルトとは、中国の朱子学を弱者抑圧のロジックとして無理やり取り込んでしまったカルト状態で、士大夫の士と武士の士の字が同じだったから誤解してしまっただけのアホくさい早とちりが発端。本州北限まで武力侵略が行き渡り、派手な内戦がなくなって物理的な配分リソースが枯渇したので、バーチャルな儀礼やご褒美を作る必要があった、その基本ロジックを中国の最新儒学(いまで言えばハーバード流みたいなもの)から勝手に取り込んで、もっともらしくでっち上げた感情的な支配体系である。

反社会人たる要諦は何か? これまで偉業と讃えられる抗議活動はなべて「何かをする」運動ではなく「何かをしない」運動である。

ガンジーの非暴力非服従、米国の公民権運動、反アパルトヘイト運動、日本の肉袋ボットによる生産性低下運動、どれもこれも、例外なく徹底的に「何かをしない」ことで、敵に深刻なダメージを与えるものである。私の私淑する車谷長吉の「反時代的毒虫」もまた、自動車運転の拒否、新卒で就職した広告代理店のはやい見限りといった徹底的な「何かをしない」運動だし、深沢七郎思想もまた「死ぬのが商売」という、現代のプロテスタンティズム資本主義洗脳への根底的な拒絶運動である。私の反社会人運動もまた、徹底した「何かをしない」運動であり、反社会人的毒虫、反朱子学カルト徹底抗戦なのである。

まず第一に、とにかく元気で明るいことの拒絶である。鬱になれ。権力者の言葉を最初からいっさい聴いていない。耳栓をしているし、テレビも観ない。吉幾三の『俺ら東京さ行くだ』を現代東京に逆流させる。権力者のご高説が仮に聴こえたとしても、それを意味のある言語として理解しようとしない。週刊文春に掲載されるようなネタはほとんどが、権力者の命令情報なので全部、無視。元気、明るさを要求される労務はいっさい拒否して、具体的には最賃スレスレの感情労働なぞは端から拒絶する。社会に求められる元気で明るいキャラの反対キャラとなる、つまり内向的な、熟慮のキャラである。内向、熟慮キャラになると、朱子学カルトは近寄ってこない。内向キャラとは「なぜ?」を考えまくる人間なので、「なぜ?」を禁じられている肉袋ボットである朱子学カルトにとって、明るくない人間は、生理的に苦手である。

第二に、エッチであることの拒絶である。エッチとは変態の略、つまり朱子学カルトそのもの。ジェンダー自体を華麗に無視、ダウナー麻薬であるアルコールを一滴も飲まない無滴の人を貫いて、変態の正反対である堅物になりきるので、朱子学カルトがこれまた近寄ってこない。アルコールやニコチンをいまだに吸収して喜んでる人間は存在が無価値なのでいっさい相手にしない。あいつらは昼間、とことん元気で明るくしていなくてはいけないので、夜になるとダウナー麻薬を破滅的に射ち込んで、色ボケ、人間放棄の動物存在でしかなく、完全スルー。

第三に、謙虚であることの徹底拒絶である。長幼の序は完全スルー、敬老思想の破壊、偉そうな人間に絶対にへいこらしない。心底軽蔑しているので、話しかけられたらすぐ退散、逃げるが価値である。日本における「謙虚さ」とは要するに小泉進次郎や三原じゅん子のようなくだらない政治虫、蜩の幼虫みたいな地下での長い下積み人間の戦略的フェイク言動でしかないので、絶対に騙されない。謙虚なフリをして近づいてくる人間こそ、疑い、遠ざける。